さる2013年10月26日(土)の午後、季節はずれの台風28号が関東近海から遠ざかった直後の東京・四ツ谷で、春風社のシリーズ「来たるべき人類学」全5巻の刊行を記念して、5巻本の合評を含めて、来たるべき人類学構想会議・第4回の集いが開かれました。
総合司会の近藤祉秋さんによる趣旨説明の後、上村淳志さんによる第1巻(『セックスの人類学』)、田中正隆さんによる第2巻(『経済からの脱出』)、相澤里沙さんによる第3巻(『宗教の人類学』)、溝口大助さんによる第5巻(『人と動物の人類学』)、山口裕子さんによる第4巻(『アジアの人類学』)のレヴューが、それぞれ行われました。
上村さんは、『セックスの人類学』を、ポストモダンの反省に立つ、性をめぐる人類学の研究とは一線を画する、人類学が持っていた力を取り戻すという、たんなる懐古趣味ではない、意欲的な試みであると捉える一方で、動物や人の諸社会の性をめぐって問題の統合がうまくなされておらず、全体として、ばらばら感は否めないと評しました。田中さんは、『経済からの脱出』に関して、私たちが囚われている日常の経済をどう自覚しながら、そこから脱出するのかという大きなテーマを掲げている一方で、「ヴァーチャル・リアリティー」という問題設定は、経済を考える上で必要だったのであろうかと評しました。相澤さんは、『宗教の人類学』を、人類学の現地調査に基づく、宗教的な「実践」と「語り」を中心に取り上げた研究であるとした上で、ある現象を宗教として取り上げることの問題、つまり、宗教概念の検討の重要性に関して指摘を行いました。溝口さんは、『人と動物の人類学』を、とりわけ、アニミズム論の観点から取り上げながら、説得力があり、他の関連学問にも影響を与える水準だと評した上で、個々の論文を取り上げて検討を加えました。山口さんは、『アジアの人類学』が、焼畑や牧畜などの生業、さらには民族や国家、宗教などを重層的にかつ幅広く取り上げている点で、これまでのアジアを扱った書とは異なる、アジアの人類学の入門書となっているとしながらも、「アジアを疑いつつ理解する」という本の導入に置かれたスローガンにつられて全体を読んでしまうと評しました。
総合司会の近藤祉秋さんによる趣旨説明の後、上村淳志さんによる第1巻(『セックスの人類学』)、田中正隆さんによる第2巻(『経済からの脱出』)、相澤里沙さんによる第3巻(『宗教の人類学』)、溝口大助さんによる第5巻(『人と動物の人類学』)、山口裕子さんによる第4巻(『アジアの人類学』)のレヴューが、それぞれ行われました。
続いて行われた総合討論では、各巻およびシリーズ全体の趣旨や評価をめぐって、活発なディスカッションが行われました。
第1巻と第5巻で、動物が取り上げられていることに関して、動物は人について考えるためだけに、いわば色もののようなものとして持ち出されている感があり、来たるべき人類学を語る場なのに、はたして、そんなことでいいのだろうかという問いが発せられました。また、来たるべき人類学としては、人を含む動物のセックス、宗教、交換や贈与などが扱われるべきだったのではないかという意見が寄せられました。こうした問いに応えるなかで、来たるべき人類学シリーズ全体の趣旨としては、既存の文化人類学の狭い枠組みに留まるのではなく、当初は、動物を視野に入れながら、人間の学が目指されたという点が強調されました。
第2巻では、研究成果を書くことだけが研究書ではないし、30年後にまで読まれる本にするためには、かなり先鋭的なかたちで経済の見方を示す必要があったという編集担当者の意見が出され、また、経済について考える上で、文化人類学の「経済」研究だけでは不十分で、地理学や地球科学の論文を読み逃すべきではないとの意見も述べられました。そうした点から言えば、第3巻は、文化人類学を専門とする研究者による本となっている点で、保守的であるように見えるかもしれないが、宗教実践と語りを中心に取り上げた点は、人類学独自のやり方ではなかったのかという見解が示されました。
第5巻は、アニミズムという、評者の関心に傾いたか たちでのレヴューであったのではないかという意見に対して、評者からは、人と動物の関係を考えるときにはスピリチュアルな領域を考えざるを得ないのであり、その意味で、マサイの越境を扱った論文や西洋における人と動物の混淆を扱った論文もまた、アニミズムであるという考えが述べられました。
その他にも、人と動物の人類学には、獣姦を入れるべきだったのではなかったかとか、動物が動物をどう捉えるのかという研究に着手しようと考えているであるとか、さらには、シリーズには、老いの人類学がエントリーされていないというような、多様な意見が表明されました。最後に、このシリーズの誕生に至る経緯が明かされ、さらには、面白い本、力のある本をつくりたいと思ったという編集責任者の思いなどが語られるとともに、シリーズ第二弾を企画し、つくるのは、来たるべき人類学の次なるあなた方であるということが述べられて、第4回の来たるべき人類学構想会議は閉幕しました。参加者は、約25名でした。(文責:スラウェシの犬)
第1巻と第5巻で、動物が取り上げられていることに関して、動物は人について考えるためだけに、いわば色もののようなものとして持ち出されている感があり、来たるべき人類学を語る場なのに、はたして、そんなことでいいのだろうかという問いが発せられました。また、来たるべき人類学としては、人を含む動物のセックス、宗教、交換や贈与などが扱われるべきだったのではないかという意見が寄せられました。こうした問いに応えるなかで、来たるべき人類学シリーズ全体の趣旨としては、既存の文化人類学の狭い枠組みに留まるのではなく、当初は、動物を視野に入れながら、人間の学が目指されたという点が強調されました。
第2巻では、研究成果を書くことだけが研究書ではないし、30年後にまで読まれる本にするためには、かなり先鋭的なかたちで経済の見方を示す必要があったという編集担当者の意見が出され、また、経済について考える上で、文化人類学の「経済」研究だけでは不十分で、地理学や地球科学の論文を読み逃すべきではないとの意見も述べられました。そうした点から言えば、第3巻は、文化人類学を専門とする研究者による本となっている点で、保守的であるように見えるかもしれないが、宗教実践と語りを中心に取り上げた点は、人類学独自のやり方ではなかったのかという見解が示されました。
第5巻は、アニミズムという、評者の関心に傾いたか たちでのレヴューであったのではないかという意見に対して、評者からは、人と動物の関係を考えるときにはスピリチュアルな領域を考えざるを得ないのであり、その意味で、マサイの越境を扱った論文や西洋における人と動物の混淆を扱った論文もまた、アニミズムであるという考えが述べられました。
その他にも、人と動物の人類学には、獣姦を入れるべきだったのではなかったかとか、動物が動物をどう捉えるのかという研究に着手しようと考えているであるとか、さらには、シリーズには、老いの人類学がエントリーされていないというような、多様な意見が表明されました。最後に、このシリーズの誕生に至る経緯が明かされ、さらには、面白い本、力のある本をつくりたいと思ったという編集責任者の思いなどが語られるとともに、シリーズ第二弾を企画し、つくるのは、来たるべき人類学の次なるあなた方であるということが述べられて、第4回の来たるべき人類学構想会議は閉幕しました。参加者は、約25名でした。(文責:スラウェシの犬)