さる2012年12月8日(土)に、桜美林大学四ツ谷キャンパスに、小田マサノリさんをお招きして、「ひとはいかにしてアクティヴィスト・アンソロポロジストになるか」というタイトルで、お話をうかがいました。

第2回1


1.小田さんの話の概要です。


中央大学の文学部で開講している「文化人類学解放講座」には、本年度は、760人が履修登録し、かつ、デザイナーや受講生の母なども聞きに来られています。文化人類学が閉塞状況に陥り、本来の輝きを失ってしまったかに見える今日、私自身が文化人類学を学び始めたときに感じた、文化人類学の「解放感」を伝える思いから、そういった講座名を付けました。その講座の初回には、海外の文化をイメージするのにいいように編集された映像を見せて、受講生が、文化人類学の輪郭をつかむことができるようにしています。つぎに、「文化人類学タイトルリーディング」と称して、○○○○人類学という本のタイトルだけを羅列することで、文化人類学が持っている雑種性や雑学性を浮かび上がらせようとしています。また、「ある学問がどんな学問なのかを知りたければ、その学問を研究している人びとが実際にどんなことをしているのかをまず見るべきである」と述べた文化人類学者・クリフォード・ギアーツに習って、文化人類学者たちの肖像を見ています。そうすれば、この学問のなんたるかが、分かってきます。そういう授業のやり方は、文化人類学のフィールドワークの基本中の基本である、「集めること」に深く関わっています。さらに、「文化人類学者になりそこねた人」(文化人類学の勉強をしたものの、他の職業へ転じた人)、「文化人類学者になりすました人」(映画のなかで、文化人類学者を演じた人)などを順に取り上げて、彼らがどのようなことを言っているのかを知ることからもまた、文化人類学とは何かを探っています。こういった試みは、(中心からではなく)周縁から物事を見つめてみるという、文化人類学の手法に則ったものです。私の授業では教科書は使いません。教科書に載ってないような地点から、つまり周縁から、文化人類学へと接近しています。


第2回3



ところで、文化人類学には、「アクティヴィスト・アンソロポロジスト」の長い伝統があります。マルセル・モースは労働組合運動に携わり、チラシ制作に熱を上げたあまり、著作をあまり残さなかったのではないかと言われています。文化人類学の他の学問で、アクティヴィストは、あまりいないのではないでしょうか。その意味で、文化人類学はアクティヴィズムと親和性が高い学問です。それには、フィールド地の先住民が、社会的弱者であることが多いことなどが、関係しているのかもしれません。興味深いことに、アクティヴィスト・アンソロポロジストには、悲劇的な死を迎えている人がいます。グアテマラ政府から暗殺されたミルナ・マックなどが挙げられます。「日本の文化人類学の父」石田英一郎は、以下のように述べています。「私は、どんな意味においても、支配されるということに我慢ができない。また人を支配することもいやである。帝国主義の支配、階級の支配、組織の支配、伝統 の支配、コマーシャリズムの支配、流行の支配、およそいかなる支配でも、支配という事実が意識されると、もう堪えがたい自己嫌悪に陥ってしまう。私の考え ている新しい科学といえば、支配の学に抵抗する科学、いわば、反支配の学ともいうべきものである」。石田が言うように、文化人類学には、反抗の遺伝子が組み込まれているのではないでしょうか。アメリカでは、大学で、アクティヴィスト・アンソロポロジストのコースがあるのです。ニューヨーク市立大学では、「アクティヴィスト・アンソロポロジストのツールキット」なるものを作っています。構造主義人類学のレヴィ=ストロースの弟子には、『国家に抗する社会』を著した、ピエール・クラストルの他に、リュシアン・セバーグがいました。セバーグには、『マルクス主義と構造主義』という著作があります。彼は、その本のなかで、マルクス主義と構造主義をなんとか調停しようと努力しています。その後、31歳の若さで、セバーグは自殺してしまいますが。そうした文化人類学のアクティヴィズムの系譜のなかで、2000年代に現れたのが、ディヴィッド・グレーバーです。


第2回2


グレーバーは、文化人類学者が身につけた知識や経験は、社会問題を考え、解決する上で役に立つと言います。それは、何よりも、文化人類学者の持つ「楽観主義」的な、「ポジティヴな」傾向に基づいているように思えます。かつて、『サモアの思春期』を著して、アメリカ社会の保守的な「性」をめぐる考え方を大きく揺さぶった、文化人類学者・マーガレット・ミードは、以下のように述べています。「世界を変えようと決意を固め、思慮深い市民たちからなる小さなグループの力を決して否定してはいけません。 実際、その力だけがこれまで世界を変えてきたのです」。ミードによる、そうしたポジティヴ思考は、今日の社会運動に対する文化人類学からのギフトであるのだと言えるのかもしれません。グレーバーは言います。「私たちが知っている資本主義はいまや崩壊しつつある。金融機関が倒れ、崩壊しかけているが、明確なオルタナティブがまだ存在しない。・・・希望がないというのは自然なことではなく、その状態はつくられたものである」と。彼にとっては、「希望がない」ということは、文化的なイデオロギーにすぎないのです。グレーバーは、こうしたことを、マダガスカルにおけるフィールドワークをつうじて経験し、発見したのです。


ところで、私自身は、2003年から現在に至るまで、250回デモに参加してきています。3.11の原発反対行動以降のデモ参加は、142回を数えます。2008年の洞爺湖北海道サミットでは、私は、金融のグローバリゼーションに対して抗議活動を行い、結果として、逮捕されたのですが、逮捕というのは暗い事実ではなく、何でもないことだということを示すために、拘留を解かれた日にパフォーマンスを行いました。それこそが、アクティヴィスムにおける「ロー・セオリー」の具体策であって、社会運動のなかでは、マーチング・バンド、クラウン・アーミーなどによる「ロー・セオリー」の手法があります。反原発を唱えて野田首相と会ったときに、私は泣きながら話をしたのですが、それは、人間の血の通った言葉を述べるためだったのです。


日本社会には、私が名づけた「アクティヴィズム・フォビア(社会運動嫌悪)」の伝統があります。それは、革命を最終ゴールとして設定していた古い時代の社会運動のあり方に根ざしているのであり、そうした時代には、革命が達成されるまでの間は、人びとは、あらゆることを我慢しなければなりませんでした。しかし、いま、アクティヴィズムは新しい時代に入っています。それは、革命を待たずに、自分たちで作り上げていくという考えに支えられています。そのことは、「来たるべき人類学」を考えることにつながっているように思います。学校や教科書のなかだけにあるのが、文化人類学ではないのです。いわゆる「アカデミックな文化人類学」のオルタナティブが、来たるべき人類学の姿であり、来たるべき人類学とは、オルタナティブについて学ぶ学校のことなのではないでしょうか?


第2回4


2.小田さんから話をうかがった後に、フロアーの参加者とともに、質疑・ディスカッションを行いました。


小田さんの活動は、パフォーマンスに傾いているように見えるのですが、その反面、次のヴィジョンが示されてないのではないかという質疑が出されましたが、小田さんは、今日の運動は、かつての60年代、70年代の運動とは戦術的に異なるものであり、成果主義に陥った現代社会のその先にあるヴィジョンを提起するものになるだろうと考えていると応答しました。

ふつうの市民が取り組める社会運動のあり方として、小田さんの活動には違和感はないというコメントに対して、小田さんからは、我々は民主主義へのなりそこねにすぎない、という返答がなされました。小田さんからは、デモクラシーというのは欧米にその出発点があったのではなく、アメリカ合衆国の場合には、先住民のイロコイ同盟を習って作りだしたものでもあり、その意味で、デモクラシーというのは一つではなく、多様なデモクラシー、複数のデモクラシーがあった、あるのだと考えられるという意見も述べられました。


原発反対の運動は、東京では盛り上がるのですが、地方ではなかなか盛り上がらなくて、その点で、中央と地方の格差があるようなのですが、それは、今後、解消されることがあるのでしょうかという質問に対して、小田さんは、自分のようなお調子者が扇動していくしかないと考えており、その意味では、東京でなくても、社会運動はできるはずだと述べました。


アーティストとアクティヴィズムの親和性が高いのではないかという質問に対して、小田さんからは、常識を疑って、操作し、変えてゆくという点で、現代美術と文化人類学の間にも親和性があるという回答がなされました。


小田さんは、アーティスト、アンソロポロジスト、アクティヴィストであるという自分の脱領域的・脱横断的な自身の「肩書」に触れ、それは、専門性に基づく一つの肩書職業を持たないということであるが、他方で、それが、自由な感性に拠りながら仕事を可能にすることに触れた。ある参加者からは、海外では、肩書は、自らの「名乗り」によって通じるものであり、肩書が専門性と結びついているというのは、日本の特殊事情なのではないかという指摘がなされました。


小田さんの活動に対しては、ネガティヴな反応もあることが予想されるが、そういう反応に対してはどのように切り返しているのかという質問に対しては、面白いから挑戦している、アクティヴとはポジティヴであることであるという応答がなされました。


文化人類学者にはアクティヴィストが多いが、他の学問にはアクティヴィストがいないという見解に対しては、例えば、「ポスト・コロニアル考古学」は、遺物をめぐる文化的なイデオロギーの問題などを扱っているので、アクティヴィストは文化人類学だけではないという指摘が、フロアーからなされました。


また、小田さんの文化人類学は、「未開」を置き去りにして、近現代を前提にしてしまっているため、突破力に欠けるのではないかという指摘がなされました。さらに、日常のなかの社会運動、例えば、今日の大学教育に関しては、教育をめぐる組合活動などがあるなかで、小田さんは、なぜ国家レベルの社会運動だけに向かうのかを知りたいという感想が述べられました。


(文責:スラウェシの犬)